海外の反応・歴史「なんでアメリカは原爆を日本に落としたの?」
原子爆弾の力を見せたいのであれば、どうして日本から安全な距離に落とさなかったのだろう?
日本が降伏しなければ街がバラバラになることを見せようとして、おそらく東京の外に落とした。そうすればみんながはっきり見ることができるでしょ?
確かに原子爆弾を直接都市に落とすより死ぬ人は少ないだろう。 原子爆弾の威力をテストするという好奇心があったのだと思う。
だから命を守ると主張しながら、日本人がその威力を目の当たりにできる場所に落としている。
2, 海外の反応
マンハッタンプロジェクトの一部のメンバーから軍事攻撃ではなく、技術的なデモンストレーション(東京湾の爆弾投下など)を求めるいくつかの請願があったらしい
。でもオークリッジ、アラゴンヌ・ウッズ、ロスアラモスそれぞれの冶金研究所の主任物理学者のコンプトン、ローレンス、フェルミ、そしてオッペンハイマーから、技術的なデモンストレーションが戦争を短縮するとは信じていない、と述べられている手紙が届いたようだ。
3, 海外の反応
なぜ彼らは戦争が短縮されないと思ったのだろう?
4, 海外の反応
爆弾投下後でさえも、彼らはまだ戦いたがっていた。
爆弾がほとんどダメージを与えないと思って…より強力な爆弾が投下されるまで、彼らは戦おうとしていたのだろう。
5, 海外の反応
技術的デモンストレーションに対する議論は、本当に爆弾の効果が示されないことだったのだと思う。
天皇が8日までに降伏することを決断しなかったのは、日本軍が広島に原爆が命中したことを認めなかったからだ。
外務大臣が被害の程度と、天皇が日本はもはや戦うことができないと決断せざるを得なくなった原爆が使用されたというアメリカの放送について報告をした。
しかしながら、政府はどんな条件を提示するかで分かれていた。首相、外務大臣、海軍大臣は、天皇だけが権力を保持することを求めた(統治するだけでなく支配する)。
陸軍省と参謀省はヴェルサイユ側が滅びることを望んだ。基本的には、日本は中国の占領地から遠ざかり、武装解除を約束宣言し、連合国は去ったのだろう。
占領や戦争犯罪の裁判はなく、日本は韓国と台湾との関係を維持しなければならない(満州国の運命が明記されているかどうかわからない)。
同じく内閣は分裂させられていたらしい。 長崎とソビエト侵攻の後、天皇は単一条項の提案書に同意することにし、すぐに拒絶された。
ついに、天皇に降伏させたのは、アメリカ人が宣伝チラシと(彼の閣僚たちが即座に降伏を命じなければ、クーデターと孤立に直面すると説得して)降伏提案の存在を明らかにしたことだという。
6, 海外の反応
将軍は戦争中に敵の命を救うことについては考えていない。
7, 海外の反応
1.都市の崩壊を示す最も良い方法は、都市の崩壊を見せることだという。 広島は意図的に空爆から免れていたので、原爆投下の前後の姿は言うまでもない。
2.東京はすでに爆撃され、人々は被爆しているかもしれないと肩をすくめていたのだろう。
3.アメリカはただ日本が降伏することを望んでいたのではない。 彼らは早く降伏して欲しかった。なぜなら、ソ連が攻撃してきて、広大な地域の領土を要求した。 日本が降伏していなかったら、ベトナムと韓国によく似た北と南の日本の領土を持つことができただろう。
8, 海外の反応
日本は降伏の意志がなかったから、軍能力を減らし東京の荒廃を脅かして強制的に降伏させるために、戦争兵器を作っていた高度工業化地域に爆弾が投下されたって歴史の授業で言ってた。
9, 海外の反応
最初の爆弾が落とされた後でさえ、日本人は依然として降伏しなかった。
それから3日後にもう一度落としても、まだ降伏しなかった。アメリカ軍は悩んだが2週間後ついに降参。政府の高位の人々の多くは、まだ諦めたくなかったらしいが…。
都市以外で貴重な核兵器で爆破することは、お金がかかり十分とは言えなかったのだろう。
10, 海外の反応
もう1つ言われたのは、核兵器による破壊を可視化する最良な方法は、核による大惨事の実例を示すことだった。
11, 海外の反応
この議論から見落とされていることは、アメリカはもう核兵器を作る材料を持っていなかったということだ。
核実験の後、2つの爆弾が日本に落とされた。 (1945年、5つの核だけが生産され、戦争の終わりに1つの核を残し、秋にはもう1つの核を組み立てた。) 爆撃が失敗するリスクはなく、日本人に我々が核兵器で爆撃し続けることができるという十分な布告はできなかった。
12, 海外の反応
広島と長崎が完全に破壊しなかった唯一の理由は、原爆の標的として残すことだった。破壊される必要がある都市を破壊するために爆弾を使うことができるのに、なぜ爆弾を使わなかったのか?
ロシア人がこの決定をしなかった。彼らは日本に行く方法がなく、米国の侵略/破壊は差し迫っていた。
13, 海外の反応
んー…ソ連がすでに満州国を侵略していたことで、満州国(満州)が韓国、サハリン島、キリル諸島に上陸している。
1945年8月、ソビエト太平洋艦隊は、2隻の巡洋艦、1隻の駆逐艦、10隻の駆逐艦、2隻の魚雷艇、19隻の哨戒艇、78隻の潜水艦、10隻の陸路航路、52隻の掃海艇、49隻のミズーリ州の対潜水艦(MOはМалыйОхотник 「小さなハンター」)、204隻の魚雷艇、1459隻の戦闘機が含まれる。つまり彼らは日本に行く方法があった。
人力の面では、ソ連は、シベリア東部では、ドイツが降伏するとすぐに部隊をシフトさせ、8月には150万人の戦車、3,704戦車、1,852自走銃、85,819台の車両、3,721機の89部門を持っていた。だから...ソ連はそれと何か関係があったんだろう
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