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海外の反応・歴史「毛沢東の中国はなぜスターリンのロシアのように超大国の地位を獲得できなかったの?」

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どちらも30年近く支配し、ドイツ人や日本人によって侵略された。

しかし、スターリンは、かつては東欧の後進国であったものを、経済と軍事力で米国に匹敵する超大国に変えたことで有名だよね。

でも、毛沢東の中国に同じことは言えない。 経済は成長したが、その人口は急速に増え、利益にならなかった。

それは1人当たりの資産が非常に低く、ロシアやアメリカよりずっと低く、多くのアフリカ諸国よりもひどい。

中国が今や潜在的な超大国になっているのは事実かもしれないが、ロシアはそれほど長い時間がかかったのだろうか?

 

 

僕は、第二次世界大戦後のロシアの核爆弾生産能力が大いに関係していると確信してるよ。

それは工業と関係があるんじゃないかな。

大戦の始まったころ、ロシアは主に農業社会だった。彼らは共産主義革命から、戦争で工業に焦点を当て始めた。

そして、ヒトラー第二次世界大戦で侵入してきたとき、スターリンは国力を工業に集中させた。狂ったように急激にね。

それが本当に戦争の流れを完全に変えたんだ。

この工業がソ連を強力なものにし、原子爆弾が役に立ったと... でも、中国はかなり長い間農業社会にとどまっていた。その理由はわからないけど、ヨーロッパの帝国主義のせいでアジアの進歩がはるかに遅れていた可能性があるよ。

しかし、中国の産業発展はまさに最近のことであり、もしおよそ15億人の人々と大規模な資源を持っていれば、産業は発展するよ。

 

 
 

中国はソ連ほど共産主義に専念していないことも賢明だったし、自由貿易港も持っていて、輸出国ナンバーワンになった。

中国はまだ先に進もうとしているが、米国と中国の間の冷戦が起こるかもしれないし、すでに始まっているともいえる。

 

 

中国の農業から産業への移行の遅れは、技術の普及でも説明することができる。

毛沢東が権力についた中国は重工業を持たず、他の国と貿易することができないため、技術の大部分はソ連から移管された。

10年では、中国を工業化するのに十分な製造技術を移転するには足らない。 鄧小平が80年代に権力を握ったとき、中国は本当に急成長を遂げ、外資系企業は中国に工場を設立し、技術移転のため労働者を提供した。

それでも、2010年代まで、30年間の貿易と技術移転があって、中国は製造業の覇権を握るようになった。

日本と比較すると、1868年の明治維新から1904年の日露戦争でロシアを打ち負かすのに30年ほどかかっている。

 

 

 

 

毛沢東の中国は、考え方も違うよ。 焦点は農民であって、「工業労働者」ではなかった。

ロシアが1800年代に行ったような人工的な都市化に取り組めたかもしれないが、毛沢東には興味がなかったから。

 

 

毛沢東が工業化に関心を持っていなかったとは言わないよ。

目標の1つは、彼の「大躍進政策」で15年以内に鉄鋼生産で英国を破ることだったから。

彼はポルポトとは違って、自分の国の農業を維持したいと思ってたが、都市中央集権的工業化のソビエトモデルを信じてなかったんだ。

 

 
 

毛沢東ソ連モデルの違いは、工業化と鉄鋼生産を田舎に分散できると考えていたこと。

田舎から都市に労働力を移転させ、大規模で、国有の、資本集約的な、そして技術的に洗練された製錬所を都市に所有する代わりに、彼はすべての村に彼らが住んでいた場所で独自の製錬所を始動させ、 中国の巨大な農村人口を一斉に活用できると考えたんだ。 彼の心の中では、中国は都市化のプロセスを飛び越え、共産主義にまっすぐに飛んでいったんだ。

すべての村は工業化され、自給自足の経済単位であると。 残念なことに、毛沢東は経済学者ではなかったから、村のコミューンには規模の経済も良質の鉄鋼を作る技術的ノウハウもなく、膨大な量の人間の労働が無駄になったんだよ。

 

 

毛沢東の考え方は、多くは革命家、軍事指揮官としての経験からで、共産党はたいてい軍備不足で、より良い装備の国民党軍や、日本、アメリカの兵士と戦い、士気と規律によって勝利を得ていた。

彼は人間の精神があれば山河を自分の手だけで動かすことができると信じていたタイプであり、この精神は中国のような技術的に貧しい国が享受できる最大の資源だった。

大躍進時の彼は、もし誰もができるだけ頑張って、見込みがなかった戦いでの兵士と同じ犠牲を払うならば、外国援助なしに中国を近代化することも可能だと考えたんだ。

残念なことに、彼はただの決断では打破できない技術的および経済的限界があることを認識できなかった。

熱心に犠牲を払えば、すべての問題を解決できるという聞こえの良い話で全国がのめり込み、人々が飢えや過労から脱落しているときでさえ、誰も声をあげなかったんだ。

 

 

 

 

ロシアの核開発能力も一部ではあるけど、話の半分にすぎないね。

まず第一に、スターリンは、ソ連(特にロシア)の大規模な産業・インフラ拡張を行った。何百万人もの市民の死を犠牲にして、ソビエト連邦の重機械を大量に増加させた。 中国はそのようなプロジェクトを行っておらず、毛沢東政権後期には逆方向に進んだ。

次は第二次世界大戦そのもの。

第二次世界大戦を通じて、スターリンは地球上で最も強力な軍事力に挑んでいた。そして、ソ連が生き残るためには、彼は勝たなければならなかった。

ロシアを守るために軍隊を作る過程で、スターリンはドイツを敗北させる軍隊を作った。 (特に、物流面では、しばしば過小評価されている西側諸国の大量の物的支援があった)。 これは大きな差だよ。

ロシアには攻撃能力と戦力投射があったんだ。

彼らは西に勢力を伸ばし、西側の資本主義者と民主主義者を直接拘束し、脅すことができた。

ソ連は西側では事実上バイエルンや中央ドイツまで、東にはアラスカまで伸びた。

中国は事実上どこにも拡大せず、(北)朝鮮は例外、ベトナムはマイナーだったから。

三番目は位置だ。

特にロシアの欧州・アジア市場へのアクセス、膨大な量の天然資源と武器製造で、数多くの国で武器の唯一の供給源となっていた。

ロシアはヨーロッパでの機械加工の進歩にアクセスできたけど、それは中国にはなかったし、少なくとも資本がなければ調達も生産もできなかった。

四番目は確かに核兵器

記憶が正しければ中ソ対立の原因の一部。 追記:調べたところ、それは中ソ対立の大きな原因だな。

ソビエトが中国の兵器プログラムの支持も手助けもしなかったから。 米英の核問題との違いは、英国が自ら核兵器を獲得できると証明されると、米国はすぐに手助けし始めたということ。

五番目 - そして最も重要なのは、それぞれの内戦。

中国の内戦と比べ、ロシアの内戦は比較的広範かつ迅速に、損害なく収束し、ロシアはまた、中国の農業重視とは対照的に、工業生産力を強調していたから(生産手段が必要!)。

中国は侵略され、初期の産業のほとんどは日本が侵略し破壊もしくは占領した場所に位置し、ロシアよりもはるかに農業的で、文化大革命と大躍進によっても変えられなかった。

中国内戦は長期化し(1948年まで続いた)、広範囲にわたって、地獄のように混沌としていた。皇帝が1917年に失脚した後、ロシアでは1920年には政府が機能していたが、中国は1920年代から文字通り何十年もの間戦っていたが、国民党が台湾に退却するまで終わらなかった。

このような被害は回復に多大な労力を要したし、中国は工業基盤を持っていなかった。 日本の人口と規模を中国と比較し、かなり容易に日本が中国への侵略を勝ち取ったのを忘れてはいけないよ。

中国には、産業、立地、投資、また迅速に回復するための資源がなかった。それを後押しする軍による外交政策を行えるほど工業化された超大国になることはなかった。

今日でさえ、中国は、直接国外に軍を投じることができないため、超大国ではないし、ロシアのように経験豊かで訓練された軍隊を持っていない。

ソビエト連邦が完全に可能だったように、同盟国を構築したり、自国境をはるかに越えて他国家の脅威となることは不可能だよ。

 

 

毛沢東の中国では、毛沢東自身、経済的な問題になったときには、まったく無能だったということ。

1957年(その年だったと思う)の大躍進とその後の飢饉で、何百万人もの命が奪われてしまった。

彼はすべての農民に道具を溶かすように指示し、金属を作って、貿易することができた(そして5か年計画の目標を達成する)。

しかし、金属は良質ではなかったので、誰もそれを購入したいとは思わなかった。 農民は何も収穫することができず、多くの人が飢死した。こうして中国はずっと悪くなった。

 

 
 

また、1966年には、毛沢東文化大革命で国を分裂させた。彼はまた、百花斉放百家争鳴で知識人のほとんどを追放した。

今日、北朝鮮が狂っていると思うなら、1966年の中国もそれほど良くはなかった。毛沢東崇拝も狂っていた(人々は、毛沢東の写真と二日一回話をして、何々を悔い改めると言っていた)。

毛沢東が亡くなって、鄧小平がリーダーになり、米国との関係が正常化したことで、中国は今日強国になろうとしている。 彼が中国を世界中に開放したんだよ。

 

 

毛沢東は、ソ連を怒らせるために、ニクソンと米国との正常化を開始した。 彼は告発されたニクソンを死の間際に招待し、アメリカにボーイング707を送って彼を連れて行った。

それは、リスクだった。

米国は中国の財産を奪取する権利を持っていたから。中国は国有化の際(アメリカを含む)外国からあらゆるもの盗んでいた。

彼は、スターリンのように死後、評判が地に落ちると考えていたので、退任したニクソン氏に本当に共感していた。

鄧小平が、毛沢東の評判を汚さなかったのは本当に驚きだ。-毛沢東下で鄧小平が宣告されたすべての奴隷労働と、彼が飢えた農民に同情を感じたという事実から考えるとね。(文化大革命と人民の苦しみに異議を唱えたため、奴隷労働収容所に送られる原因となった)

 

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